近年では私立中学や高校や大学入試の問題が変わり始めています。これまでの知識を問われる問題だけではなく、自分の考えを表現するタイプの問題が出題されるようになりました。このような変化に基づき、受験対策として子供の考える力、思考力が話題を集めています。
「でも子供の考える力って、どうやってつけさせればいいの?」、「そもそも子供の考える力って伸ばせるの?」と思う方も多いでしょう。今回は子供の考える力を伸ばしたい方に思考力を伸ばせる非認知能力についてご紹介していきます。親の接し方で子供の考える力を伸ばしていきましょう。
目次
子供の考える力は日常生活で伸ばせる?考える力が必要な理由
そもそも、なぜ子供には考える力が必要なのでしょうか?考える力とは一体、どのようなことを指すのでしょうか?まずは考える力について、考えてみましょう。
子供の考える力が必要な理由とは?
子供の考える力を伸ばす、と言っても特別に難しい何かがあるわけではありません。
私達が物事を考える時は、どんな時でしょうか?日常生活で考えることはどのようなことでしょうか?
例えば仕事で、生活の中で、人は毎日考えています。「人間は考える葦である」というパスカルの言葉にもあるように、人間にはもともと考える力を持っています。
考えることで自然界を生き抜いてきた人間が考えるのは、問題に立ち向かうとき。問題を解決するときです。困ったことが起きたとき、何かを達成したいとき、現状のままでは解決できそうにないことを解決したいときに私達は考え、解決策を出しますよね。
つまり考える力があるということは、生きる力があるということ。子供が親元を離れ、自立して生きていくために、考える力は必須能力だと言えるでしょう。
考える力は非認知能力?認知能力と非認知能力の違い
では、子供に生きる力をつけるために「考える力」を鍛えたいのであれば、どのようなことに注目すればいいのでしょう。
実は保育園や幼稚園などの幼児教育で知られている「非認知能力」が生きる力と関係していることがわかっています。
参考:世界で注目される非認知的能力って?/すくコム/NHKエデュケーショナル
https://www.sukusuku.com/contents/qa/143200
非認知能力とは、大きく分けて3つあり、目標達成に向けて頑張る力、自分の感情をコントロールする力、人とコミュニケーションを取る力を指します。知識を覚えていく認知能力は、テストの点数やIQなど数値で測れることに対し、非認知能力を数値化することはできません。
そのため、目で見えにくくわかりにくいため、実際に子供に能力がついているのかどうかを判別しにくいというデメリットがあります。
日常生活の中にある考える力を発揮するカギとは?
非認知能力は目では見えにくいのですが、日常生活を送っている中で発揮できるチャンスはいくらでもあります。なぜなら、日常生活そのものが、「生きる」ということであり、日常生活の中で起きる問題を解決することが「生きる力」になるからです。
生きるために食べて寝て運動するという基本のことから、社会の一員として生きていくために子供が身に付けなければいけないスキルはたくさんあります。1日で全てを身に付けることは難しいですから、親と一緒に生活をしながら少しずつ身に付けていくことが一番自然でしょう。
このように考えてみると、子供の考える力を鍛えたいのであれば、日常生活の問題解決を子供に経験させることが必要であると結論づけられますね。
便利な社会で生きられるようになった現代では、親が子供の問題まで先回りして解決してしまうことが多く、子供の考える力が育たないことが問題になっています。インターネットやスマートフォンですぐに情報が手に入るため、考える必要がなくなってきたとも言い換えられるでしょう。
子供の考える力は親の接し方で鍛えられる!今日からできる3つの方法
すぐに情報が手に入る便利な時代になったからこそ、情報以外の部分、つまり考える力のような非認知能力が重要になってきます。では、子供の考える力を鍛えるために親にできる接し方をご紹介しましょう。
親が考える力を鍛える
まずは親自身が考える力を鍛えましょう。できるだけ数学の証明のように論理的に考えるよう意識してみましょう。考える力とは何なのか、普段自分が考えていることは何なのかなど、できるかぎり自分自身で考えてみることから始めます。
なぜなら、子供の考える力は今置かれている環境に大きく左右されます。親が子供のためを思い、先に手を差し伸べてしまうと子供は考えなくても問題が解決されてしまうので考える力は鍛えられません。
親が考える場面をはっきりさせることで、家庭環境を見なおすことができます。親が考える必要があることは、子供にも必要なことかもしれない、と一度立ち止まり、親の問題なのか子供の問題なのかを明確にすることが、子供の考える力を鍛えるスタート地点になります。
親が子供の個性を理解する
子供の考える力を鍛えていきたいのであれば、子供がどのように物事を見て認識しているのか、何に反応してどう行動するのかなど、子供の性格や個性、気質や特性などを十分に理解しておくことが必要です。
子供は発達によって個人差が大きいので、子供を理解していないと未発達の状態なのに「できない」と親が勘違いしてしまう場合があります。子供に合った時期を待つことも親の役目。その子にあった適切な時期を見極めることも、子供の考える力を伸ばしていくためには必要な条件です。
親が子供の話を最後まで聞く
子供の話していることを親が最後まで聞いてあげることは、子供の考える力を伸ばす上でとても重要な工程です。なぜなら、子供の考えていることがわかるからです。今、子供が知っている言葉を一生懸命に並べて伝えようとしていることは何なのか、達成しようとしていることをどう表現しているのかを把握することができるからです。
子供の現状を理解することで、親が知っている方法や情報を、子供と一緒に共有していくことで、人と協力するコミュニケーション能力を鍛えていくことができます。
自分の話を最後まで聞いてもらえるという安心感、理解されているという満足感は、もっといろんなことを知りたい、チャレンジしたいというモチベーションにもつながりますので、トータルで考えた場合、子供の考える力を伸ばせることにつながると考えられます。
子供の考える力は認知能力と非認知能力のバランスが大切
子供の考える力を鍛えるために、特別に必要なものはなく、親の意識や接し方が関わってくるとご紹介してきました。ただし、この考える力の元データは認知能力です。どちらか片方だけの能力があれば生きる力が備わるわけではなく、さまざまな能力が融合してバランスを取ることで、生きる力として活用されていくわけですね。
考える力の材料となる元データは認知能力
勉強と言えば、主に机の上で教科書とノートを開いて知識を覚えることでした。見た物を共通の言葉として覚えること、経験を記憶しておくこと、伝えたいことを人にわかるように説明する能力には、認知能力で覚えた知識データが必要になります。認知能力がある場合とない場合では、考えられる幅や応用力にも差が出てくるでしょう。
認知能力をデータベースに非認知能力で応用する
知識を覚え、たくさんのデータを持つだけではなく、生活の中で知識をどこでどのように使うのか、1つの知識を組み合わせ、応用する作業は、ブロックやパズルのようなもの。達成したい目的や目標に向かい、自分の持っているデータをブロックやパズルのようにどう組み立てていくのか、という作業が「考える力」なのではないでしょうか。
目的や目標を達成するために、黙々と作業に取り組める粘り強さ、失敗しても誘惑があっても左右されない感情のコントロール力、1人ではできないことを人と協力することでできる方向へ変えていくコミュニケーション力。まさに「考える力」と非認知能力は関連していると言えるでしょう。
応用した考えを生活とリンクさせることで生きる力につながる
知識を元データ、応力力を組み立てる非認知能力を掛け合わせ、日常生活とリンクさせていくことで、私達人間はこれまで生き延びてきました。「考える力」という漠然としたイメージも、細かく分けて考えてみることで何が考える力なのか、考える力が生きる力にどう関わっているのかが理解できるでしょう。考える力の必要性が理解できれば、子供に何ができるのか、を考えていくことができますね。
考える力が必要なのは子供だけではない!親も一緒に考える力を鍛えていこう
現実問題、考える力は子供だけに必要なスキルではありませんよね。これまで生きてきたのですから、親のスキルを子供にわかるように通訳して教えていけば良いのです。その際、1つだけ気を付けておきたいことは、親と子供は別の人間であるということを忘れないこと。親の考えと子供の考えは同じではない、ということを客観的に理解しておきましょう。
大人になると知識や経験の量も豊富になりますから、どうしても自分の考えが正しいと思い込んでしまうもの。ただ、子供の「考える力」を鍛えるということを目標にするのであれば、親の成功体験は1つの成功例に過ぎないということになります。要するに参考例ということです。考えることは自由に発想し、組み合わせて作りだしていくことです。
時代の流れに柔軟に対応できるのも、自由な発想から生まれた考えがあるからこそ。時代は時間と共に変わっていきます。これまでの認知能力だけが求められる時代から、本当に生きる力が求められる社会に変わる今、まず子供の見本となり、親が、大人が考える力を鍛えていく必要があるでしょう。
勉強でもスポーツでも楽器演奏でも、何かの目的に向かって達成していく親の姿を見た子供もまた、考える力を鍛え、自分の人生、これからの社会の一員として生きていくのではないでしょうか。